えー、今日はね、「愛」って何だろう?って話をします。
よくね、斉藤一人さんの“天国言葉”に「愛してます」ってあるけど、「いやいや、そんなクサい言葉、口に出せませんよ〜」なんて言う人がいるのよ。
でもね、これを言えるか言えないかで、人生って大きく変わるの。
日本人ってさ、「愛してます」って言うのに、ちょっと照れがあるんだよな。
恋人にも、家族にも、あんまり言わないじゃない?
でも、海外の人は日常的に「アイラブユー」ってサラッと言うんだよね。言われた方も、「うん、私もよ」って。
だからね、愛の言葉って、どんどん使っていくべきなんだよな。
そもそも、「愛してます」って、どういう意味だと思う?
「え〜と、好きってことですか?」ってよく聞かれるけど、それだけじゃないのよ。
キリスト教の教えではね、「愛」ってのは“見返りを求めず、相手の幸福を心から願うこと”なんだよ。
これ、すごいよね。
だって、何も見返りを求めないで、相手が幸せになることを祈るだけで愛なんだよ?
たとえばさ、自分が誰かのために何かをして、その人が「ありがとう」って言ってくれたら嬉しいよね。
でも、仮に「ありがとう」って言われなくても、「あの人が幸せになってくれたらそれでいいや」って思えるなら、それはもう“愛”なんだよ。
でね、面白いことを教えてあげる。
「愛」って字、よーく見てごらん。
「受ける」って字があるでしょ?
そこに「心」と、一本線を加えると、「愛」って字になるの。
つまり、「愛」ってのは、“人の心をそのまま受け入れること”なんだよ。
「あなたの心を、まるごと受け止めるよ」ってことなの。
怒ってても、泣いてても、ブスッとしてても、「いいよ、それでも」って受け入れること。
それが愛なんだな。
逆に「恋」ってのはね、コロコロ心が変わるんだよ。
「今日は好きだけど、明日はちょっと冷めたかも〜」とかね(笑)
だから、「恋」って字から「心」を取ってみると、「変」って字になるの。
恋は変わっていくのが当たり前なんだよ。
でもね、恋してる時は、それでいいの。
コロコロ心が変わっていいの。
その変化の中から、一つの“本当の愛”を見つけていくんだから。
「愛」は、簡単に見つかるものじゃない。
でも、「愛」が芽生える瞬間って、人生で一番あったかい瞬間なんだよな。
「この人と一緒にいたいな」
「この人の幸せを願いたいな」
そう思えたら、それがもう愛。
それが、相手に伝わっても伝わらなくてもいいの。
それでも「この人を受け入れたい」と思ったら、それが“本当の愛”なんだよ。
だからさ、愛ってのは、奪うものでもないし、期待するものでもない。
ただただ、受け入れるだけなの。
もちろん、相手のこと全部は受け入れられないこともあるよ。
「どうしてもここだけは無理〜!」ってところもある。
でもね、そうやって「全部受け入れようとする自分」がいることが、すでに愛の始まりなの。
あなたが「受け入れる側」になるか、「受け入れてもらう側」になるかは分からない。
でも、どちらも素晴らしいことなんだよ。
そして、もし今、あなたが「愛なんて出会ったことがない」って思ってても、大丈夫。
人間って、魂を磨くために何度も生まれ変わるからね。
今世で出会えなかったら、来世で出会うかもしれない。
もしかしたら、再来世かもしれない。
だからね、「自分には愛がない…」なんて落ち込むことないんだよ。
今できることは、まず「人を受け入れる練習」をすること。
家族でも、友達でも、コンビニの店員さんでも、誰でもいいの。
「この人の心を、ちょっとだけ受け入れてみよう」って思えたら、それが“愛のはじまり”なんだよ。
そうやってね、あなたの中に「愛してます」が自然と出てくるようになったら、
きっとあなたのまわりに愛がどんどん集まってくるよ。
だって、「愛」ってのは、人の心を明るく照らす“光”だからね。
以上でーす。