どうも。仲宗根です。
さて、日曜日の今日は、ただの日記をお届けします。
“ちゃんと怒ってくれる人”が減っている件について
「怒られることって、大事だよね」
そんな話を最近、仲間としました。
でも、よくよく考えてみると、
**“ちゃんと怒ってくれる人”って、もう絶滅危惧種なんじゃないか?**と思うんです。
怒るって、実はめちゃくちゃ“コスパ悪い”行動なんですよ。
だって、怒る方はエネルギー使うし、相手から嫌われるリスクも背負うわけですから。
だったら、見て見ぬフリをした方が、よっぽどラク。
でも、それでもあえて叱ってくれる人がいた。
「それは違うよ」って言ってくれた。
「お前ならもっとやれるだろ!」って言ってくれた。
そこには、期待があったし、信頼があった。
そしてなにより、愛があった。
今、それをやる人が減ってきてる。
特に“現場”では顕著です。
企業でも、福祉の現場でも、「言っても変わらないし」「余計なトラブルになるし」と、あえて波風立てない道を選んでしまう。
でもね、それを続けてると、本当の成長の機会がどんどん失われていく。
僕が20代の頃、ある先輩にボッコボコに怒られたことがあります。
「お前、その態度なに?」「社会ナメてんのか?」
当時は反発もしたけど、今思えば、その人がいなかったら、僕はずっと“甘ったれ”のままだった。
「怒る」と「キレる」は違います。
「叱る」と「否定する」も違う。
“ちゃんと怒る”というのは、その人の未来を信じて、今ここで伝えるべきことを、勇気を持って伝えることです。
そういう人が、減ってきてる。
そういう文化が、薄れてきてる。
だからこそ、僕たちが“ちゃんと怒れる人”にならなきゃいけない。
嫌われる覚悟で、言うべきことを言える人でありたい。
本気で向き合うって、そういうことだから。
そして、怒られた側もまた、受け取る力が必要なんです。
「なんでこの人は、わざわざ怒ってくれてるんだろう?」
「本当は、どうでもいいと思ってたら、こんなに時間割いてくれないよな」って。
その“読み取る力”があれば、怒られることが怖くなくなる。
「怒る」と「伝える」は、時に同じ顔をしている。
だけど、それを“愛のある怒り”として受け取れるかどうかで、人生の厚みは大きく変わる。
たとえば、就労支援の現場で、利用者さんがミスをしたとします。
そこで、「もういいよ、やらなくて」って言うのは優しさじゃない。
「違うよ、ここはこうするんだよ」「ほら、もう一回やってみよう」って言ってあげるのが、本当の優しさです。
相手のプライドを傷つけないように…とオブラートに包むのも大事かもしれない。
でもね、本当にその人の未来を思うなら、
時には、ちゃんと怒ってあげる必要があるんです。
「怒ってくれてありがとう」なんて言われるのは、何年も何十年も先かもしれない。
でも、その時に「あなたがいてくれてよかった」と言われるのが、僕たち支援者の“本当の成果”なんだと思う。
だから、今日も誰かに嫌われる覚悟を持って、
でも、その奥にちゃんと愛を詰め込んで、
“ちゃんと怒れる大人”でありたいと思います。
それでは、みなさま素敵な日曜日を。